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ある公爵夫人の生涯

 『プライドと偏見』の頃よりはいくらか改善されましたが、相変わらずキーラは猫背ですね。本当に、周囲に誰も指摘する人がいないんだろうか?! 長くて美しい首がもったいないったらありゃしない。しぐさや表情もぎこちなくて今一つエレガンスに欠けるし、現代的でミョーに浮いているのも『プライドと偏見』同様ですが、最初違和感を感じたそれらの欠点も、今回の作品では逆にうまく活きましたね。実際のデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナの人物像が映画のとおりだったかどうかは知りませんが、この物語のヒロイン・ジョージアナの悩みはかなり近代的かつ庶民的で、大英帝国の大貴族の世界では浮いた思想でしょう。だからこそファッションとしてもてはやされ、観衆としての社交界のおしゃべりスズメやら庶民やらには大いに愛されたわけですが、肝心の夫の心をとらえることはできなかった……ってダイアナ妃そのものじゃん!! 似た境遇のご先祖のキャラを借りてダイアナ妃の心情を描いてみせた、というのが製作者の真意だったりして。キーラの演技はだいぶ上達したかに感じましたが、ダイアナ妃を模せばいいわけだからわりと演じやすかったと思いますよ。なにしろ資料となる映像や文献がふんだんにありますもんね。ま、それでも時間の経過に伴って女性として人間として変化していく様子をきちんと演じた点は評価できます。
 しかしお世継のプレッシャーって、産む側の夫人だけでなく、男性当主にとっても相当なものなんですね。このあたりの心理描写はおそらくヘンリー8世をモデルにしているのでしょう。私は今までエリザベス1世関連の小説や漫画や歴史解説を読んでも、『ブーリン家の姉妹』を観ても、なぜヘンリー8世がいちいち教会に懇願したり闘ったりして「正式な離婚と再婚」をとりつけたかったのかがピンときていませんでした。なぜ庶子が後継者になれないのか? アン・ブーリンの妹が男の子を産んだのなら、血筋的にはまったく問題なさそうなのに、なぜその子が跡継ぎになれないのか?? つまり神の前で正式に誓った婚姻によって生まれた子供でないと、たとえ王の子であっても、母親が高貴な身分であっても、正統性は認められないんですね。逆に、正式な婚姻のもとに生まれたメアリやエリザベスは、母王妃が離婚させられたり処刑されたりしても王位継承権は剥奪されないのね。そういえば彼女らは父ヘンリー8世から弟のエドワードと分けへだてなくかわいがられたと、何かで読んだような記憶があります。まあ、この程度の理屈は歴史に詳しい人にとっては常識なのかもしれないし、賢い人なら資料を読むだけで推測できるのでしょうが、私はよくわかっていなかった……というか、なんだか釈然としていなかったのでした。それがようやく理解できたのは、レイフ・ファインズの演技に説得力があったからです。寡黙で面白みのない公爵役ですから、台詞は少なく表情も変化に乏しいのに、その硬い殻の奥にあるプレッシャーへの焦りとか、宗教観に根差す正統性の縛りからくる苦渋などが痛いほどに感じられました。
 ああ、それにしても……デヴォンシャー公爵といい、チャールズ皇太子といい、陣内ナニガシといい、市村おじさんといい、人もうらやむとびきりの美女を妻にしてもなお、そのへんのつまらん女をつまみ喰いしたいって根性が心底本気でわからん。それが男のサガなんでしょうが。庶子が跡継ぎになれない世界では、「世継を設けるため」という言い訳も通用しないし、むしろ子種の分散はかえって正統なる跡継ぎの出生の確率を下げるんじゃないの、公爵さんよ?!……とまあ、お下品な悪態はさておき、とびきり美しくて非の打ちどころのない妻というのもまた、男にプレッシャーを与える存在なのかもね。本邦のやんごとなき殿ばらは、世界にもまれに見る忍耐と克己と慈愛の美徳を備えた真の紳士なのかも、って気がしてきたぞ。

Posted by 倉島穂高 on 2009/04/29 with 映画生活

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